真田丸幸村の実像は?家康に敵対した理由も!

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真田丸2回目も見ごたえがありました

タイミング良く、テレ朝で放映された

「林修の今でしょ!講座」歴史の偉人の衝撃新設SPでは

東京大学の日本史教授の本郷先生が

これまで明らかになっていなかった歴史上の事実を解説しました

その解説を聞いて、へぇ~、へぇ~、の連続でした

真田幸村の歴史に埋もれた事実を知った後で

真田丸を見たら、「実は・・・」と想像できる楽しみも増えました

 

その幸村の実像ですが

実は「幸村」と言う人は歴史上に存在しなかったのです!!

「なぜ??」

 

まずは、兄と敵味方になっても、なぜ徳川に敵対したのか?

兄の信幸は徳川方につき

弟の信繁(幸村)はあくまで豊臣の見方をします

冬の陣で負けた後、兄は家康に弟の命乞いをします

家康も、武士としての信繁を高く評価していたので

家来にしようと命を助けます

それでも、徳川に敵対して夏の陣で戦いに敗れ命を落とします

「なぜ、そこまでして徳川に敵対したのか」

本郷先生の解説によると

この時代は、何をおいても「家」を守ることが最優先とされた

徳川と豊臣が戦うことになった時

どちらが勝っても「真田、家」が残るためには

兄と弟が別々の主人に仕えることが避けられなかったのです

「な~るほど!!」

だから、真田丸2回目で、武田が滅びたのち

北条と上杉のどちらに着くかを父昌幸、兄信幸、信繁三人で

話し合う場面

兄がくじを引いているときに、突然父が

「織田につく」と爆弾宣言

これはただ、父昌幸の突拍子もない発言ではなく

どの武将に着けば生き残れるのか、家が続くのか

そこを最優先に考えてのことなのかも

とわかれば、あのシーンもただ、単に突拍子もない言動ではなく

考え抜いた決断だったのでは・・・

と理解できる気がしました

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次に、「「幸村」は歴史上実在しない」ことについて

当時、徳川の世で、どんなにすばらしいヒーローであっても

最後の最後まで家康にたてついた人物を、

ヒーローとして描くわけにはいかない

そこで、「幸村」という架空の人物と

その周りの「佐助」や「霧隠才蔵」といった架空の人物を登場させて

物語を作ったのだとか

「へぇ~」「へぇ~」「へぇ~」

歴史っておもしろいですねぇ~

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  1. ジェイこぶ
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