井山裕太七冠達成の強さの秘密は?制覇までの環境と獲得賞金も

この記事は3分で読めます

井山

Sponsored Link

井山

「囲碁のタイトル6冠を保持する井山裕太本因坊(26)が

十段を奪取し、囲碁界では初めて全7大タイトルの同時制覇を達成しました。」

こんな囲碁界の重大ニュースが日本中をかけめぐりました。

なぜ、ここまで話題にあるのか書いてみました。

 

■七冠達成が困難なわけは?

十段、棋聖、名人、王座、天元、碁聖、本因坊の七つのタイトルです。

井山の6冠以外の過去の記録としては、

2009年に張栩(ちょう・う)九段が達成した5冠(名人、王座、天元、碁聖、十段)が最高でした。

将棋界では1996年、羽生善治名人(45)が7冠を制覇し、

社会現象になりました。

その頃、羽生善治さんが小学生のころ「公文」に通っていたとかで

こちらも、当時話題になったのを覚えています。

7冠制覇がなぜ、これほど困難なことなのでしょうか?。

それは、スケジュールからわかると言います。

昨年、井山さんは年間51回対局しています。

これは、ほぼ週1回のペースで打ち続けていた計算になります。

タイトル戦は、1局戦えば、体重が数キロ減ると言われるほど

体力を消耗するそうです。

しかも会場は地方が多く、移動や宿泊を考えると

週1回の対局が限界なのだそうです。

そんなスケジュールの中、井山さんはこの1年間で、

保持していた4タイトルを防衛しました。

残り三つのタイトル戦は、1局も落とせないトーナメント戦を勝ち抜いて

挑戦権を獲得し、全て奪取しました。

若いからできたとも言えるのかもしれませんが、

若い時にこの難関に挑戦し、

自分の体力や精神をコントロールできたからこそ実現できたのだと思います。

 

■井山裕太さんのプロフィール

いやま・ゆうた 1989年、東大阪市生まれ。

身長163センチ、体重約55キロ。

石井邦生九段門下生。2002年、12歳でプロ入り(初段)。

09年、史上最年少の20歳4カ月で名人となり、九段に昇段しました。

通算タイトル獲得・優勝回数は歴代7位の36回。

545勝197敗(勝率7割3分5厘)。

日本棋院関西総本部所属。

iyama-nara0111

 

■逸話

井山さんは400年に一人の逸材と言われています。

そんな井山さんが、七冠制覇するまでの道のりを見てみましょう。

囲碁との出合いは、5歳の頃父からもらったテレビゲームでした。

わずか5歳で囲碁の魅力にとりつかれ、腕を上げていったそうです。

その後、石井邦生九段との出会いが、囲碁好きの少年の人生を変えました。

井山さんの才能をいち早く見抜いた石井さんは、

ネット碁などで鍛えあげました。

そして「元気よく打て」というだけで、型にはめず、

自由奔放に打たせたそうです。

「型にはめない」指導法が、井山さんにはうまく機能したのでしょうね。

この時期に、その独創的な棋風の礎が築かれました。

井山さんも「先生との出会いがなければ、今の僕はない」と断言しています。

普段は温厚な井山さんですが、相当な負けず嫌いだそうです。

小学生の頃は負けるたび、泣いていたようです。

卓球の「福原愛」さんも、小さいころから話題になって

テレビなどによく取材されていましたが

負けるたびに、よく泣くシーンが映し出されていましたね。

そんなある日、石井さんからある手紙が届きました。

「負けて泣いているだけでは何万局対局しても強くならない。

なぜ負けたか、自分なりに反省して生かさないと、成長しないよ」

それ以来、対局後には「自分の碁」と向き合う作業は欠かさないそうです。

「つらい作業でしたが、きちんと反省した上で、

気持ちを切り替えられるようになりました」。

師匠の教えは今も井山さんの躍進を支えているようです。

 

■強さの秘密

井山の強さの秘密は、独創性と言われています。

それは、石井師匠の「型にはめない」指導法の結果かもしれません。

井山さんはしばしば、誰もが予想できない手で、局面を打開してきました。

井山さん自身も、日ごろから

「私にしか打てない手を打ちたいし、見てもらいたい」

と話しています。

中学1年時の担任だった古崎(こざき)強さん(66)は当時、

アマ二段の腕前でした。

すでにプロ棋士だった井山さんと放課後などに対局しましたが、

「強いというレベルじゃなく、全く歯が立たなかった」と言っています。

中学3年時の担任、飛田知江美さん(61)は進路相談の際、

井山さんに高校進学を勧めました。

しかし、「高校には行かない。囲碁を頑張ると決めている」と

決意は固かったということです。

対局のため週1回は早退しましたが、

毎回きちんとあいさつに行っていたそうです、

また、謙虚で礼儀正しく、やんちゃな生徒たちとも仲がよかったとのこと。

小中学校の同級生で飲み仲間の嶋池陽平さん(26)によると、

井山さんは小学生の頃、「ドッジボールの井山」と呼ばれ、

外遊びが大好きな生徒でした。

天才と言われますが、井山は偉ぶったりしない人だったようです。

 

■大きな節目

そんな、偉業を成し遂げる井山さんにも、大きな節目が2度ありました。

一つは2008年、井山さんは19才で張栩(ちょうう)名人に挑戦しましたが、

あと一歩のところで敗れました。

終局後、

「自分のふがいなさに腹が立った。二度とこんな思いはしたくないと心に誓った」

と涙を流したいうことです。

翌年は張を撃破し、史上最年少の20歳の名人が誕生しました。

もう一つは、

王座と天元を相次いで失い、6冠から4冠に後退した時点での棋聖戦勝負。

平静心でなんとか乗り切りましたが、

「棋士人生で最大のピンチ。あの時ほど1勝が遠いと感じたことはなかった」

と振り返っています。

次の夢「世界一」については「世界のトップには少し及ばない」と、

謙虚な姿勢を見せています。

 

■感想のまとめ

こうしてみると、偉業を成し遂げて「天才」と呼ばれる人には

いくつかの、不可欠な要素が見られます

1.謙虚である

2.負けず嫌い

3.型にはまらない自由な発想

4.良い指導者との出会い

そして、本人の強い意志と高い目標

なによりも、それを実践できた井山さんって、やっぱりスゴイですね

 

■獲得賞金

27年の賞金ランキングでは、井山さんが過去最高の1億7212万円だそうです。

5年連続1位になり、自身の持つ年間獲得賞金記録を更新、

4年連続して1億円の大台を超えました。

Sponsored Link

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

関連記事

  1. c4eee447
  2. 18034
  3. maxresdefault
  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。