マスケティアーズパリの4銃士の国王とその母皇太后の不仲の理由は?歴史的史実も

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マスケティアーズ (2)

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マスケティアーズ (2)

第6回目のマスケティアーズパリの4銃士では

郊外に幽閉されている国王ルイ13世の母親が突然姿を現します。

この二人、どうも仲たがいしていて、

母親が国王に追放されたということです。

いったい、この二人に何があったのでしょうか。

 

ドラマでは、実はルイ13世には双子の兄がいた。

しかし母親(皇太后)が出産後に

体の障害のある双子の一人を教会に捨てたのです。

その兄が大きくなり、結婚して子供が生まれるのですが、

兄自身も結婚相手も身の上は知りません。

幽閉されていた皇太后は、

双子の兄に生まれた子供(自分の孫)を「正式な国王」としてかかげ

国王ルイを退けて実験を狙おうと画策しましたが

いつものように、4銃士の大活躍でめでたしめでたし・・

というストーリーになっています。

 

そもそも、なぜこのルイ13世とその母親は不仲になったのでしょうか?

今回は、歴史の史実から見てみたいと思います。

1610年、ルイ13世は父アンリ4世が暗殺されたため、

9歳で即位しました。

幼い国王のために母のマリー・ド・メディシスが摂政になりました。

「メディシス」といえば、

イタリア・フィレンツェの黄金期を作った名門「メディチ家」ですよね。

一方ルイは14歳で、

スペイン・ハプスブルク家の王女アンヌ=ドートリシュと結婚しました。

 

こうしてみると、王家は政治的な問題で、

常に周りの国の王女との政略結婚をしていたのがわかります。

 

始めは、摂政のマリーとその一派(イタリア人)が実権を握っていました。

しかし、ルイ13世は成長するに従い、

国王として親政を行うことを望むようになります。

名前だけの国王にしておこうとする母マリー・ド・メディシスを

嫌うようになりました。

 

1617年にマリーの一派であるコンチーニらをクーデターで退け、

さらに摂政の皇太后マリーをブロワ城に閉じこめてしまいました。

しかしマリーは非常に権力に対する欲が強く、城を脱走してしまいます。

 

その後もさまざまな画策を行い、

一時は国王派と母后派の両軍が対決することもありました。

その両派の調停役として台頭したのが

枢機卿リシュリューだったのです。

ルイと母親の対立を決定的にしたのが三十年戦争参戦問題でした。

マリーはハプスブルク家やスペイン、ローマ教皇と

手を結ぶことを主張し、新教徒を助けるのに反対しました。

その問題でマリーと対立したリシュリューも

一時は参戦をあきらめましたが、

ルイ13世の決断によって、リシュリューに軍配を上げました。

こうして皇太后は捕らえられ、

コンピエーニュ城に再び幽閉されました。

彼女はその後、またも城を脱出することに成功しましたが、

フランスには戻ることなく、

オランダやイギリス、ドイツを転々とした後、

1642年、ケルンで寂しくなくなりました。

 

人は、一度権力を握ると

その魅力に取りつかれるものなのかもしれませんね。

 

 

 

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